年末年始休暇で愚息1号が帰って来た日、この前の日田・別府ツアーで調達した
クンチョウ酒造 薫長ひやおろし
能作で鋳造した錫ぐい吞みが最近の愛用品。
大晦日は毎年恒例の
餅つき(機械やけど)何と言っても〇ショナルブランド機。
つきたて餅を粒あんや栗あん、栗渋皮煮、砂糖醤油、きな粉、大根おろしで。
予約しておいた年越し蕎麦を受け取って墓参りに。
隠れ庵で調達した手打ち蕎麦で年越しも毎年恒例。
セカンドキャリアに移行した今年度。
今年は家人人生の大きな節目、進路変更した年となった。
(セカンドキャリア移行の決断・実行は昨年)
早期定年退職制度(セカンドキャリアデザインプログラム)の募集が20年度末に掲示されたが、この時点では全くその気がなかった。
21年6月に対象年齢全員に個別面談があり、最初は手を挙げるつもりはなかったが、東京本社単身から帰阪して
・地域経済ギャップ、地域社員の高年齢化
・卒業前の役割として自身が考えてた「若手育成支援、組織の下支え」は東京で行えた。
・地域組織が求める役割が若手と一緒。
・中央集権を進めていて地域での決定権ダウン。
の現状を鑑み
・数年後に同じようなセカンドキャリアデザインプログラムが出る可能性はかなり低い。(支援金だけでなく、再就職支援も重要)
・満願成就まで勤務するモチベーションを保てるか?
・満願成就後に雇用継続申請する考えはない。(条件悪すぎ)
・舵を大きく切るなら労働意欲が高い内、カラダが動く内に。
・扶養家族・ローンとか抱えてると到底無理だったが、幸いにも愚息は二人も経済的に自立(愚息2号は在宅だが。。。)してるし、夫婦両親とも他界してて介護はして貰う立場のみ、山ノ神も正職勤務
・最後は感情論だが、35年働いた会社へは好印象のまま卒業したい。 で決断。
「引き続き働いて欲しい」と言われる間が華やね。
大阪に戻って半年で早期定年退職の道を選らんだのは、東京勤務を前職最後の仕事としたかったから。
「関西に帰りたい」と連呼しつつ充実した日々だったからだ。
などと思い返す大晦日。
今の所だが仕事が結構面白く、新たな分野で自身に刺激、学ぶことが多くあり、同じ様にセカンドキャリアに移行した同期・同僚が多い職場で違和感が少ない。
若い先輩、年下上司も居るが、お互いをリスペクトしている。
給料は前職の1/3近くまで下落した事はちと計算外(1/2程度までは覚悟してたんやけど)やったけど、
世の中そんなに甘くないと実感したが、色々調整すればなんとかなるやろ。
来年から市民税も安ーくなるし。。。
残業なんてこの9ヶ月間で2時間しかない。 この2時間も同期でトップ(笑)
年休は初年度から20日間付与で、取得し易い雰囲気という職場。
丁寧な態度、言い訳しない、相手を認めるetcを自身に言い聞かせていこう。(人の振り見て我が振り直せ)
年越し蕎麦に手作り鯖寿司(〆鯖は調達品)と酒肴になる一品
大晦日は飲めないんよ。
さ 初詣に出掛けよう。